インバウンド観光の成功は、時に予期せぬ課題をもたらします。それが「オーバーツーリズム(観光公害)」です。観光客が特定の地域や時期に集中することで、住民生活への圧迫、自然環境や文化遺産の劣化、交通渋滞、マナー問題など、様々な負の側面が顕在化します。
しかし、世界のインバウンド強者たちは、この課題にどう向き合っているのでしょうか?国際観光客数のトップ10に名を連ねる国々も、オーバーツーリズムの問題に直面し、その対策を喫緊の課題として捉えています。彼らが実施している具体的な対策と、そこから日本が学ぶべき点を掘り下げていきましょう。
世界のトップ10諸国が実施するオーバーツーリズム対策事例
ここでは、国際観光客数トップ10(※前述の2023年暫定データに基づく)の国々が講じている代表的なオーバーツーリズム対策をご紹介します。成功事例とされるものも含め、その取り組みは多様です。
1. フランス
- 実施している具体的な対策:
- 人気観光地での入場制限・予約制の強化: モン・サン・ミシェルなど、特定の時間帯や入場者数に上限を設け、事前予約を必須化。
- パリなど都市部での短期レンタル規制: Airbnbなどの短期レンタル物件に対し、登録制の義務付けや貸し出し日数の上限を設定し、住民の住宅確保を支援。
- 地方分散化の推進: パリ以外の魅力的な地方(ボルドーのワイン地方、南仏の小さな村など)への誘致を強化し、観光客の流れを分散させるプロモーションを展開。
- 特定エリアへのアクセス制限: 地中海の国立公園、カランク国立公園(マルセイユ近郊)など、脆弱な自然環境を持つ場所へのアクセスを規制。
- 成功事例とされる取り組み: モン・サン・ミシェルの入場管理システム導入により、混雑が緩和され、訪問体験の質向上に繋がったという声があります。パリの短期レンタル規制は、完全に問題を解決しているわけではないものの、違法物件の抑制に一定の効果が見られます。
2. スペイン
- 実施している具体的な対策:
- 人気都市・島嶼部での宿泊税導入: バルセロナ、バレアレス諸島(マヨルカ、イビサなど)などで宿泊税を導入し、観光インフラ整備や環境保護の財源に充当。
- 短期レンタルへの厳格な規制: バルセロナなどで違法な短期レンタル物件への取り締まりを強化し、観光客向け宿泊施設の総量規制も検討・実施。
- クルーズ船の入港制限: バルセロナでは中心部への大型クルーズ船の入港を禁止・制限し、日帰り観光客の集中を抑制。
- 人気アトラクションのチケット販売・入場管理強化: グエル公園など、人気スポットの入場券を完全事前購入・時間指定制にし、キャパシティ管理を徹底。
- 成功事例とされる取り組み: バルセロナのクルーズ船規制やグエル公園の入場管理は、特定のエリアの混雑緩和に一定の効果を上げています。バレアレス諸島の宿泊税は、持続可能な観光のための重要な財源となっています。
3. アメリカ合衆国
- 実施している具体的な対策:
- 国立公園での入場予約システム導入: ヨセミテ国立公園、ザイオン国立公園など、特に人気の高い国立公園で、特定の時期や時間帯の入場に事前予約を必須化。これにより、公園内の交通渋滞やトレイルの混雑を緩和。
- 都市部での特定エリアの交通管理: ニューオーリンズのフレンチクォーターなど、混雑するエリアでの車両規制や歩行者導線の管理。
- インフラ投資と分散化の推進: 観光客が多く訪れる場所のインフラ(駐車場、トイレ、トレイルなど)整備を進めるとともに、知名度の低い国立公園や観光地への誘致を促進。
- 観光客への啓発活動: 国立公園などで、環境保護や野生動物への配慮、トレイルマナーなどに関する啓発活動を強化。
- 成功事例とされる取り組み: 国立公園の予約システムは、ピーク時の訪問者数を管理し、自然環境への負荷軽減と訪問者体験の向上に貢献しています。
4. イタリア
- 実施している具体的な対策:
- ヴェネツィアでの日帰り観光客へのアクセス料導入: 2024年から、日帰り観光客に対し特定のピーク時にアクセス料(入場料)を課金開始。
- ヴェネツィア歴史地区への大型クルーズ船乗り入れ禁止: 景観保護と住民生活への配慮から、歴史地区への大型クルーズ船の乗り入れを禁止。
- フィレンツェでの景観維持規制: 人気観光スポット周辺での座り込み禁止など、住民生活や景観を妨げる行為への罰金制度導入。
- ドロミーティなど山岳地域でのアクセス制限: 特定の自然保護区や景勝地への車両乗り入れ規制やシャトルバス利用の推奨。
- 成功事例とされる取り組み: ヴェネツィアの大型クルーズ船禁止は象徴的な対策として注目されました。日帰りアクセス料の効果はまだ検証段階ですが、持続可能な観光への強い意思表示として評価されています。
5. トルコ
- 実施している具体的な対策:
- 歴史・文化遺産保護のための入場者管理: エフェソス遺跡など、重要な遺跡での入場者数や滞在時間制限の検討。
- 観光地の分散化と多様化: イスタンブールやカッパドキアなどの人気スポットへの集中を避け、黒海沿岸やアナトリア東部など、新たな観光地の開発とプロモーションを強化。
- サステナブル・ツーリズムの推進: 環境保護や地域経済への貢献を重視した観光開発プロジェクトを推進。
- 成功事例とされる取り組み: 新規観光地の開発により、特定の地域への集中を緩和しつつ、トルコ全体の観光収入増を目指しています。
6. メキシコ
- 実施している具体的な対策:
- 沿岸部の環境保護規制強化: カンクンやリビエラマヤなど、リゾート開発が進む地域のサンゴ礁保護や廃棄物管理に関する規制を強化。
- 地域社会との連携強化: 観光開発の恩恵が地域住民にも行き渡るよう、地元雇用創出や伝統文化保護への取り組みを支援。
- エコツーリズムや文化観光の開発: マヤ遺跡や自然保護区など、持続可能な観光資源を活用したツアー開発を推進し、量から質への転換を図る。
- 成功事例とされる取り組み: 環境保護区におけるエコツーリズムの取り組みは、自然を守りながら観光客に独自の体験を提供しています。
7. イギリス
- 実施している具体的な対策:
- ロンドン以外の地域への誘致強化: イングランド北部、スコットランド、ウェールズなど、各地の魅力を発信し、観光客を分散させるキャンペーンを実施。
- 文化遺産サイトでの入場管理: ストーンヘンジなど、人気史跡での時間指定チケットや入場者数管理。
- 短期レンタル市場の監視強化: ロンドン市内で違法な短期レンタルに対する情報収集や規制の検討。
- 持続可能な交通手段の推奨: 公共交通機関やサイクリング、ウォーキングなど、環境負荷の低い移動手段の利用を促進。
- 成功事例とされる取り組み: 各地域の観光局が連携し、テーマ別の観光ルート(文学の旅、歴史街道など)を提案することで、特定の都市への集中を緩和しようとしています。
8. ドイツ
- 実施している具体的な対策:
- 持続可能な観光認証制度の推進: 環境基準や社会基準を満たした宿泊施設や観光サービスに対する認証制度を普及。
- 都市部での短期レンタル規制: ベルリンなど主要都市で、短期レンタルに対し厳しい規制(登録義務、上限日数など)を導入し、住宅難に対応。
- 休暇シーズンの分散化推奨: 学校の長期休暇時期を州ごとにずらすなどの工夫により、国内観光のピーク分散を図る。
- 文化ルートや自然ルートの整備・プロモーション: ドイツ全土に広がる多様な観光資源(城街道、ロマンティック街道、アルプス街道など)への誘致を強化。
- 成功事例とされる取り組み: 持続可能な観光認証制度は、環境意識の高い観光客を惹きつける一助となっています。短期レンタル規制は、都市部の住宅問題解決に向けた重要な一歩です。
9. ギリシャ
- 実施している具体的な対策:
- アクロポリスなど主要遺跡の入場管理: アテネのアクロポリスで、時間指定入場や入場者数に上限を設け、遺跡保護と混雑緩和を図る。
- 人気島嶼部での観光管理: サントリーニ島など、特に人気の高い島でのクルーズ船入港数制限や、特定の時間帯のアクセス制限を検討・実施。
- 新たな観光地の開発とプロモーション: あまり知られていない島々や本土の自然・文化資源を活用した観光を推進。
- 海洋環境保護への取り組み: プラスチックごみ削減や海洋生態系保護に関する規制強化。
- 成功事例とされる取り組み: アクロポリスの入場管理は、歴史的建造物への負荷を軽減し、観光客の満足度向上にも寄与しています。
10. オーストリア
- 実施している具体的な対策:
- ハルシュタット村での入場制限・料金徴収: 世界遺産の小さな村ハルシュタットで、日帰りバスの乗り入れ制限や、入場料(駐車料金に含める形で実質的な入場料)の徴収を開始。
- 都市部での時間帯別プロモーション: ウィーンやザルツブルクなど、人気の都市で、比較的観光客が少ない時間帯や季節の魅力を発信。
- 高品質な文化・自然体験への誘導: コンサートやフェスティバル、登山、スキーなど、特定の関心を持つ観光客をターゲットにしたプロモーションを強化。
- 成功事例とされる取り組み: ハルシュタットの対策は、ソーシャルメディアで爆発的に人気が出た小さな村が、住民生活を守るために行った苦渋の、しかし効果的な対応として注目されています。
日本が世界から学ぶべきこと:明日から取り入れるべき実践的ヒント
世界のトップ国が取り組むオーバーツーリズム対策から、日本の現状を照らし合わせたとき、学ぶべき点や、すぐにでも実践に移すべきアイデアが見えてきます。
- 「分散化」は待ったなしの最優先課題
- 学び: パリ、バルセロナ、ヴェネツィアのように、日本でも東京、京都、大阪、富士山周辺など、特定の地域への集中が顕著です。この集中が、まさに観光公害の最大の原因です。
- 日本が直ちに実施すべきこと:
- 地方の「隠れた宝石」の発掘と磨き上げ: 各地域が持つ独自の自然、歴史、文化、食といった資源を徹底的に調査・分析し、他にはない体験価値としてパッケージングする。
- 地方へのシームレスなアクセス整備: 新幹線、特急列車、高速バス、二次交通(地域内バス、レンタカー、シェアサイクルなど)の多言語対応を強化し、外国人観光客がストレスなく地方へ移動・周遊できる環境を整備する。
- 地方への誘致キャンペーン強化: 国や自治体、民間が連携し、人気スポット周辺の混雑情報と合わせて、魅力的な地方の代替案を積極的に発信する。インフルエンサー活用も有効。
- 「管理」は持続可能な観光の土台
- 学び: 入場制限、予約制、短期レンタル規制などは、人気の高まりすぎたデスティネーションでは避けて通れない管理手法です。住民生活と観光の調和のためには、時に厳しい規制も必要になります。
- 日本が直ちに実施すべきこと:
- 人気観光地のキャパシティ管理検討: 特に混雑が深刻な自然公園、史跡、展望台などでは、時間指定予約制や入場者数に上限を設けることを具体的に検討する。
- 短期レンタルに関する法規制の運用強化・見直し: 民泊新法等の運用を厳格化し、違法物件の取り締まりや、住民生活への影響が大きい地域での stricter な規制導入を検討する。
- 公共交通機関の混雑緩和策: 観光客向けパスの販売時期・利用時間帯の制限、観光客向けシャトルバスの運行強化、特定の時間帯・ルートでの運賃変動制の導入などを検討する。
- 「質の向上」への明確な転換
- 学び: 量を追うのではなく、質を重視することで、一人の観光客あたりの消費額を高め、経済効果を維持・向上させつつ、物理的な観光客数を抑えることが可能です。
- 日本が直ちに実施すべきこと:
- 高付加価値旅行(ラグジュアリー、アドベンチャー、ウェルネスなど)商品の開発・プロモーション: 日本独自の文化(禅、武道など)や自然(国立公園でのガイドツアー、温泉療養など)を活かした、単価の高い体験型コンテンツを企画し、富裕層や特定の関心を持つ層にアピールする。
- 長期滞在を促す仕組みづくり: ワーケーション誘致、多拠点滞在型プログラムの開発、長期滞在者向け割引制度の導入などを検討する。
- 消費単価の高いセグメントへのターゲティング強化: プロモーションターゲットを明確にし、マス広告だけでなく、特定の趣味・関心を持つ層に響く専門メディアやコミュニティでの情報発信を強化する。
- 「データ活用と住民との対話」は必須
- 学び: 効果的な対策のためには、客観的なデータ分析と、最も影響を受ける地域住民の声に耳を傾けることが不可欠です。
- 日本が直ちに実施すべきこと:
- 観光客の動態データ収集・分析基盤の構築: 携帯電話の位置情報データ、交通機関の乗降データ、決済データなどを活用し、リアルタイムでの混雑状況や観光客の流れを把握できるシステムを整備する。
- 地域住民との定期的な対話の場設定: 観光計画策定や対策実施の過程で、地域住民の意見を聴取し、懸念や要望を反映させるための協議会や説明会を定期的に開催する。
- 観光客向けマナー啓発の強化: 多言語でのウェブサイト、動画、パンフレット、公共スペースでの掲示などを活用し、日本の文化やマナー、地域特有のルールを丁寧に伝える。SNSでの啓発も有効。
オーバーツーリズムは、インバウンド観光が成功している証でもありますが、同時にその持続可能性を脅かす深刻な課題です。世界の先進事例は、この課題への対応は待ったなしであり、時には「観光客数を増やすこと」よりも「観光の質を高め、地域との共存を図る」ことに重きを置く必要性を示唆しています。
貴社のビジネスにおいても、ただインバウンド需要を取り込むだけでなく、自社の立地や提供サービスが地域のオーバーツーリズムにどう影響するかを俯瞰的に捉え、上記の対策を参考にしながら、地域全体として持続可能な観光を実現するための役割を考えていくことが求められています。
世界のトップ国が試行錯誤しながら進める対策から学び、スピード感を持って日本の、そして貴社の地域に適した対策を実行に移すこと。それが、インバウンド観光の「光」を持続させるための鍵となるでしょう。